デザインの価値

2017年8月19日 | izumi | イエローデータデザイン日記

◼︎日本はデザインもデザイナーの価値も低い。。

私の仕事は、旅館にしても商品にしてもそれらの社会的必然性を探しながら、そのものあるいはそのプロジェクトに新しい価値を与えることだと思っています。その手段としてデザインがあります。単にデザインを表層的視覚効果と考えているわけはありません。デザインにも必然性があってこそだと考えています。そしてデザインは、いろいろな役割をもつチームに分かれていて、あるものは道化のように可愛らしく、あるものは背筋を伸ばして凛々しく、あるものはひっそり息を潜めて、あるものは大胆に振る舞い、、そこに多くの役者がいてまるで演劇の舞台があるようです。

それぞれの役割を演じてもらいながら、全体の調和をとっていくことこそがデザイナーの役割なのです。
ひとつのデザインが変われば、その他のデザインの役割も変わります。演劇であれば、脚本のひとつの言葉が変わればその相手役の言葉も変わる、音楽であればひとつのフレーズが変われば次のフレーズも変わる。同じことです。全てはハーモニーなのです。それを操るのがデザイナーの仕事です。

建築では、予算によってやむなくデザインの変更が行われることが良くあります。そのときは単にその箇所だけの変更を考えているわけではありません。ひとつが変わればその他のデザインも変わるのです。最初に考えていたハーモニーが崩れたときにまた新たなハーモニーをつくらなければならないのです。だから苦しく悩むのです。頭の中で形と予算がまぜこぜになって、恐ろしいほど悩むのです。ここだけ変えてるんだからいいんだろうと大概の現場ではそう思われています。そこでややこしい人という扱いが生まれてきます。現場全体に、別にいいじゃないかデザインなんて、早く決めて現場はとっとと進めたいんだよという空気が湧いてくるのです。

もともと建築という世界は、建築設計士という人の方の地位が高く、私のような社会的資格のない企画やデザイナーの地位はとても低いのです。尚且つ男社会。資格イコール社会的な価値、資格偏重の業界です。(もちろん、中にはそうでない設計士の方もゼネコンの方もいらっしゃいます。)私は何の資格も持っていませんが、それを卑屈に思ったことはありません。コンセプトをつくり基本デザインをつくり、そして細かな最終的な意匠の監理をする立場として、なぜ価値が低いのかがわかりません。0から1を作ることの方が重要だと考えているからです。プロジェクトの骨格をつくる企画デザイナーの立場が裏街道ばかりでは、おかしいんじゃないかと思います。
そんな業界では、コンセプトワークと基本設計と意匠デザインをどんなにしていても、地震祭では裏方ですし、記者会見でもメディアにもゼネコンさんと建築設計会社の名前だけで当社の名前は出ることもありません。どんなに現場であくせくがんばっても社会的には価値のない役割に押し下げられてしまうのです。

これでは後続の子達が誇りをもって育たないと思い、先日、とあるプロジェクトでそんなことを伝えたら、そのプロジェクトの責任者には「いいじゃない今更、いつも裏なんだから、裏のままやってくださいよ」、ゼネコンの営業さんには、「立場ですかぁ、どうしますか、まっ、うちと設計会社さんが表に立ってるんで、ざっくりデザイン監修ってことでいいですかぁ」。ほんと、アホらしくなりました。この数年、誰がこのプロジェクトをここまで引っ張ってきたんだという思いがフツフツと湧いてきます。少しセーブしないとなぁ。体あってのデザインです。

これからは表面的な名前や社会的資格の優先じゃなくて、本来の価値を認めてくれるところで仕事した方がいいなと思うのでした。仕事先も仕事も選ばないと限りある人生、無駄になるなと思いました。

岡部泉