庭石文化

2017年5月22日 | izumi | イエローデータデザイン日記

◼︎石捨てないで

今日、昔からの友人である庭石やさんが、うちの事務所の小さな坪庭の石の修理に来てくれました。最近どうって聞くと、もう 庭なんか解体ばっかりだよ、次の世代に残せないからって石捨てるんだよね、断捨離って言葉が流行っちゃうから困るんだよねと言います。うちの会社の坪庭にある獅子の蹲も彼の解体仕事に付き合って出会ったものです。北海道炭鉱の社長さんの家の庭石でした。とてもセンスの良い数奇屋造りの家でしたが、マンションにする計画だったと思います。あらためて、よく見てたらその妙にぎょろっと睨みつけている師子の顔が私に似ているなと思いました。今頃気がついたの?と言われたのですが。。

彼の家は、茶庭の石を扱う由緒ある庭石やさんです。世田谷の大きなお屋敷に石やら古い蹲がゴロゴロとあります。家も近かったので、よく名家から出た蹲とかを見に行っていました。こんな地代の高いところで採算性のない商売だよねとよく言ったものです。いつの間にか庭石の良さなんて誰もわからないし庭だってある家少ないし。。。
そうそう、会社の坪庭にある錆石の砂利がすくなくなったから今度少し持ってきてくれないって頼んだら、日本の砂利ってもうないんだよね、、、特に錆石なんて特にねと言います。そんなもんさえ無いの?驚きです。日本って何か失っています。イエローデータだらけです。

オリンピックが来るからって日本文化のブームになってるみたいですが、すでに日本文化は暮らしに密着していない外から見る文化になっているように思います。生産されていないのです。私はすごく工芸好きですが、暮らしの中で生きているかというとそうではありません。さらに言うと家にあるいろんなものを処分していこうと、昨日断捨離計画をしたばかり。。。

今は、ひたすらパソコンに向かい風流を感じる隙間もないのです。かつて、経済界も政治界も風流な美学を取り入れてこそ初めて全てを解する人物だと言われていた地代がありました。

どうしてこんななったんだっけ。。それは私たちの世代がそうしたんじゃなかったかな。日本文化を伝えてこれなかったのかもしれないし、暮らしに取り入れる経済的余裕もなかったように思います。文化ってある余裕がないとだめだし、伝える相手もいないとだめなんですね。あと美意識の見栄をはる気持ちも必要です。

そうか、俺たちがだめだったんだと肩を落とす友人に、今度、元気出してうちのビール飲もうねと7月の納涼会にお誘いしました。

岡部泉