謝罪って

2017年4月11日 | izumi | イエローデータデザイン日記

◼︎常識は常識じゃなくなった

最近、うちの会社のことでとんでもなく間違った情報がとあるフリーペーパーに載っていました。全然知らなかったことですが、うちの社員の子から報告がありました。そうであれば、当然しかるべき相手に謝るのが当たり前であると思います。

昔だったら、印刷物であれば一文字の間違いも許されませんでした。うちのデザインの子にも、文章については厳しくしていて、何度も声をだして読み合わせをさせてきました。私たちにも忘れられない失敗がありました。あるプレスリリースをつくるのに、最後の入稿の時に印刷会社のスタッフがたった一文字の漢字を打ち間違えて、発注者であった私は平謝りでした。私もチェツクができなかった土壇場でのことでした。
もう二度と切羽詰まった入稿はしないと心に決めました。

しかし今は、情報も何もかもが薄い時代なんでしょうか。その主体者が全然違う記事を出した編集の代表者という人は、電話で、そちらのスタッフさんに電話するように言われて電話してるんですけど、、いやぁ、いつも原稿チェックしてもらってるんですけどね、、今回はそれしなくって、、でも修正文も出しましたし、相手さんにはもちろん謝ったし、、。もうそれでいいでしょってかんじで、何だか立場がおかしい、この人幾重にもミスがあるのに。
一番、謝るべき相手はだれでその間違いの責任ってなんだろうと思いました。電話での謝罪というのも簡単だなと思います。これがネット社会になった傾向なのか。。顔の見えない、背景も知らない電話の向こうのその人に思わず、あなたは何歳なんですかと聞いてしまいました。なんでそんなことを聞くんだというその人に、いつから文章や情報を印刷することの責任の重さは変わってしまったのかと、私の常識はもう常識ではないのか、それは世代なのか思っただけですと答えました。そしたら、一体年齢なんか関係ないじゃないかとムカつき加減にいわれました。

そう、こうなると年齢は関係ないかもしれません。その人の資質であり、そして個人的な社会観なのかもしれません。言葉や情報に対する価値観というものが全く違う人に、腹を立てていてももう仕方ないかと、何だか空虚な思いになりました。
今や情報は軽く賞味期間はとても短い。いろんな情報はただの字面で空間を埋めるものなのか。。メディアを扱う人たちの意識や誇りやミッションが変わってしまっているように思います。

そこらへんにある情報はまともに信じてはいけない嫌な時代になりました。

岡部泉