同じ人とすれ違う

2012年10月3日 | izumi | 風流生活日記

■その人はいつもさみしそうにしていた

二年前から、駅の近くで同じ人に出会う。こんなことがあるのでしょうか。小さく肩を丸め重たい歩みで歩くその人は、どこかの奥様でしょうか。白髪まじりの黒い髪を束ね、さみしそうにしています。どこにも心の行き場がなく、誰にも我が身を委ねることができない、そんなふうに思えるのです。

あるときは、電車の陽だまりの中で、あるときは、小雨まじりの冷たい雨の中で、そして、年末の雑踏の中で、どうして、家に帰れないのか、ただ、彷徨っているだけなのか、決して幸せそうに見えないその人に、大丈夫ですかと声をかけるべきなのか、、、未だその勇気はありません。
ただ、どんな人も同じような孤独を感じる時があるはず。いずれ近いうちに私にもやってくることです。

年をとって、強くなりたいと思うことは、肉体と孤独です。

岡部泉

日本の手の仕事

2012年9月29日 | izumi | 風流生活日記

■また一つ、変え難い手の仕事が終わる

今日は、八王子にあるみやしんさんに伺います。宮本さんという私の尊敬する手の仕事の賢人のお一人です。しかし、この素晴らしいテキスタイルの工場が閉じられてしまうのです。今日は、その織機が動いている様を記憶しておきたいと思って伺いました。宮本さんが、織機の説明をしてくれました。ここから何万という種類の布が生まれてきたのです。芸術的な素晴らしい組織が宮本さんの頭の中にあるのです。このような感性を持つ技術者を日本はもっと守って欲しいと思うのです。

こうして、変え難い手の仕事の炎が消えて行くのです。ひたすらさみしい気持ちです。

岡部泉

風流生活会議

2012年9月25日 | izumi | イエローデータデザイン日記, 風流生活日記

■あらためて、方向性を確認する

今日は皆を集めて、会議をします。これまでの動き、そして現在、そして未来。大きなビジョンを持って進めていきたいのです。風流生活を一人で始めて20年が立ちました。この長いトンネルをくぐり抜けて、ようやくまた始められます。いろいろありましたが、再びここに帰れて良かったです。

私が元気で働けるのは何年だろうかと考えます。早いうちに形にして皆に継いでいってもらいたいと思っています。日本の文化を次世代に引き継ぐことを大きな命題として会社を立ち上げたのです。その何も出来ていません。しかし、これからです。時間を惜しんで始めます。

岡部泉

風流生活の企画

2012年9月24日 | izumi | イエローデータデザイン日記, 風流生活日記

■ようやく始まった

バーバー東京のウエブをリニューアルし、これで少し形がつきました。また、今日から新しい社員を迎えていよいよ9年目がスタートします。がんばれ!日本のクラフトビールのために!

ようやく、本業に入ります。日本の工芸と文化を追いかけている風流生活の企画に入ります。しばらく忙しすぎてかまってあげられなかったブランドですが、今年秋から本腰入れてのスタートです。ようやく来ました。今までこの時間がなかったのです。感謝感謝。

岡部泉

お箸作り

2012年9月18日 | izumi | 風流生活日記

■自分で作るお箸教室

最近、世田谷の工房を再開したのですが、ふらりといろいろな人が来ます。その中のお一人、若い木工作家さんが訪ねて来てくれました。家具からカトラリーまで丁寧なものづくりをされています。木で何かを作る楽しみを知っていただこうと、うちの工房でお箸作り教室をすることになりました。お箸は、最も身近な道具です。子供やお母さんと参加してもらいたいものです。
10月の終わりごろに開催予定です。

岡部泉

風流生活再開

2012年9月9日 | izumi | 風流生活日記

■風流とは、心の余裕

風流生活は、日本の良質な暮らしをテーマにして、工芸や、食や、文化を考える暮らし提案ブランドです。

二十年ほど前にひっそりと一人で立ち上げたものでしたが、その後、本格的に始めようと会社を立ち上げてまで作ったものです。しかし、その後、レストランを作る仕事や、旅館の企画と設計、他企業の商品開発と、多忙を極めました。会社を維持するためにはそれも大事な仕事です。其の途中では、両親の病気と介護との二重生活が続き、さらにバタバタな二重生活に突入しました。そんな期間が、何と十五年ほど続き、風流とは全く縁遠い生活となってしまい、風流生活は、一人ぽつんと置いてきぼりでした。
世話をしてあげられない後ろめたさで、心が苦しくなる日々が続きました。しかし、ようやく最近、再び日本の良い暮らしとは、風流とは何かと考えられる余裕が少し生まれてきました。世田谷の工房も再開しました。長く使っていなかので、最初は片付けからです。工房の扉を開いたら、こころに少しゆったりと風が通りました。

風流とは、立ち止まり、我が身の居る場所を知る余裕のことなのかもしれません。

岡部泉

母の着物

2012年9月7日 | izumi | 風流生活日記

■捨てれないもの

母の七回忌が終わったら、肩の荷が降りたのか、少し心の余裕が出てきたように思います。というか、新しいステージに移るための時がきたのかもしれません。ようやく、母の残した家や遺品のかたづけを始めました。こんなになるまでほっといて駄目じゃないと何処かで言われているような呵責の念も持ちながら、まだまだ暑い夏の終わりに母の家に向かいます。

母が好きだった薔薇は、主人がなくともしっかりと玄関を囲むようにこの家を守っています。何年も誰も住まずにこの家もさみしかっただろうと思います。器用でセンスの良かった母。あちらこちらに母の手作りのものがこの家を母らしいものにしています。母が作ったステンドグラスの窓からも夏の強い光が差し込んでいます。

今日は、母が好きだった着物の整理です。桐の箪笥に丁寧にたとう紙にしまわれた着物を一枚づつ出して行きます。それぞれに着物の名前が母の細い字で書き込まれています。その文字さえも懐かしく思い、またその着物をきた母の姿を思い出すのです。沢山の着物を処分しなくてはならないのでしょうが、なかなか踏み切れません。着物は代々譲り受けるものであることがわかります。

着物とは不思議なものです。洋服にも沢山の思い出があるのですが、着物が作るシーンには格別なものがあります。着物が洋服よりも普遍性を持つ形であり、その素材の緻密さや高級感や華やかさばかりでなく、独特な日本の技術に対しての敬意が含まれるからでしょうか。体の小さかった母の着物には、必ず端切れが出ます。子供の頃に、その端切れを集めて、その端切れの美しさを楽しんでいたものでした。箪笥の引き出しから、その端切れが出てきました。

それさえも捨てることが出来ない。着物とは、本当に美しい日本の名品であり、愛用されるものだとつくづく思うのでした。

岡部泉

伊勢丹の日本

2011年4月10日 | izumi | イエローデータデザイン日記, 風流生活日記

■各都道府県の新しい物産

岡さんの展示会のあと、伊勢丹の7階でおこなっている各都道府県の物産というものを新しくかっこよくした展示会を見に行きました。こういう試みを伊勢丹がするってことは、なんか流行ってるってことなんだなぁ、、日本ってことが、、

若い人は皆センスがよく、それなりに感心するものでした。しかし、ふと気がつくとこれって県別だったのね。どれも似ているような、、、

ものって格好良くなるとみんな似てくるのでしょうか。すこしシャープなラインでなんとなくストイックな気分で落ち着けがましくないわきまえた顔になってしまっているような。お酒のラベルでさえ、カクカクした小さめの文字のラベルが細長い瓶に入ってる。これって3合瓶かな、、すぐ空いちゃうね。日本酒って演歌な土着な感じがいいと思うのは、古い日本人だけかしらね。

デザインに性別もなくなり、地域性もなくなり、みんな若い子たちはスマートで外国の人みたいになっていく。方言あっていいんじゃない。土着でいいんじゃない。あくせく焦っていいんじゃない。かっこわるいくらいじたばたしようよ。みんないい子でかっこいいなんてつまらない。そんな気がしました。もうこれって偏屈な年寄りのこごとなんだろうか。。。

ああ、でも素敵なものも沢山あるのですよ。一人一人のデザインは良いのです。ただ、日本大好きで地域大好きの私だから、地域の色を求めてしまうとあれって思うことあるだけです。

是非行ってください。私は素敵なガラスのアクセサリーを買いました。

岡部泉

岡さんの展示会

2011年4月10日 | izumi | イエローデータデザイン日記, 風流生活日記

■相変わらず力加減がいい

今日は、伊勢丹で開催されている岡晋吾さんの個展にいってきました。相変わらず、いい感じの力加減です。なかなかこうやってつくれる人っていないんですよね。陶磁器とは本当にむずかしい。しかし岡さんの器は、岡さん曼荼羅のようで、岡さんの優しさと端正さとおかしみを使い分けているようです。使い分けてというように人ってもともと幾通りもの顔や性格を持っているもの。何かをする時にはこの顔でとか、この人に会うときはあの顔でとかわけているとだいたいつまらない人になっているようです。自然体において、そのままいろんな顔を見せていく、これがいい感じなのです。

まったくもって風流な人なのです。我が風流生活は岡さんの器と岡さんそのものを応援しています。いやはや、まったくもっていい力加減なのです。

岡部泉

工芸魂

2011年2月14日 | izumi | イエローデータデザイン日記, 風流生活日記

■越田さんと撮影

友人のカメラマンと今日は器の撮影です。日本の工芸は世界で最も美しいと思います。漆、ガラス、陶器、竹。どんな工芸も自然の中にある豊かさを感じさせてくれます。そんな工芸の仕事を続けて、はや30年ほど。

しかし、今工芸の世界は、止めどもなく限界に来ているようです。優れた技術が失われていくようです。悲しい限りです。伊勢神宮の式年遷宮のような儀式があってさえ、生活の中で使われなければ産業としては発展しません。産業として発展しなければ、材料も人も組織も繋いで行く事ができません。

作家さんでさえ困ることになるのです。どうして工芸がこの世に必要なのか。別に漆のお椀でお味噌汁飲まなくてもカップでもいいじゃない。そんな声が聞こえます。しかし、弱きものこそ必要なのです。弱気ものには、私たちが失ってはいけないメッセージがあります。例えば漆。昔、地方に漆掻きの嫁にはなるなという唄があります。漆を掻きにいったら家にはなかなか戻れないからです。そんな苦労を重ねた漆の一滴一滴を丁寧に漉して使う。何度も何度も薄い漆を重ねて膜にする。そんな苦労の末生まれたお椀をどうして乱暴に使うことができるでしょう。毎日使って使ってくたびれた漆のお椀。でもまた塗り直して使うことができるのです。また新しい着物を着せてあげれば、また毎日働く事ができるのです。

こんな物をいとおしく思う気持ちが失われてしまっては、誰をも大切にはできません。弱気ものには、現代にそぐわない合理性やスピードに欠けています。だから弱きものになってしまうのです。でもいつでも両極のものがこの世の中には必要なのです。

そう思うと私の仕事もいとおしくなるのです。これぞ工芸魂なのです。

越田さん、漆のけなげな顔付をどうぞきれいに撮ってあげて下さい。

岡部泉