風流生活の一歩

2015年5月19日 | izumi | イエローデータデザイン日記, 風流生活日記

■文化も経済があってこそ

私がつくる「風流生活」は引き算のブランドです。しかし、なかなか足し算を繰り返すところには受け入れられないものです。愛用品をていねいに使い続けましょうとか言ってるようでは、なかなか売上が立ちません。となれば、顧客のエリアを広げるしかありません。

日本文化をどうにか継承しようとがんばってきましたが、文化って本当にお金につながっていきません。ということは続けられないということなのです。

文化も経済あってこそなのですが、文化をどう売るか、本当に悩ましい問題です。(文化といっても少し古い伝統文化のことです。アニメはとても世界的な文化となりましたから)

しかししかし、どうにかしなくてはと決心したことがあります。これは風流生活の一歩となると思っています。来年の夏までに何とか。

岡部泉

米朝さん

2015年3月24日 | izumi | イエローデータデザイン日記, 風流生活日記

■笑いは世相の表現なのか

米朝さんが亡くなりました。ハンサムな落語家さん。仕事先の女将さんに伺ったことですが、大阪の料亭にいつも泊まり込んでいたというお話です。米朝さんの部屋というのがあったりしたくらいで、昔の粋な時代を感じさせます。この間の飛行機の中でも落語を聞きながら帰ってきました。

最近も昔も本当は変わっていないのかもしれませんが、最近、お笑いだのなんだを見ていて思うのですが、ふわふわ感が半端ない。イメージとリズム。お笑い評論家ではないのでただの感想ですが、これが今の傾向なのかな。。イメージとリズム優先、ゆえに理解、認識曖昧にして、尚結構、みたいな感じです。深く考え過ぎないように先導されているかなと勘ぐってみたり。これが今の世相なような気がしてきます。でも、案外これって日本人らしい感覚なのではないかと、また思ったりします。たり、たり、たりとこれもまた、曖昧にして日本人らしい表現。

物事はいつも泡沫と深層を行ったり来たりするもの。少し深層にまで触れる機会が少ないのではと感じます。泡沫だけでは困りますね。笑いだって、何だって、曖昧でかつ軽妙なであることが日本人の信条、それが活きないのは野暮ですから。

岡部泉

久しぶりの家具屋さん

2015年3月23日 | izumi | イエローデータデザイン日記, 風流生活日記

■昭和、平成インテリアショップの歴史

今日は宮本先生と新しい家具をつくるために、外苑前のインテリアショップに行きました。私が若い頃の憧れのインテリアショップでした。イタリアのモダンな家具を扱っています。本当に久しぶりです。こんな家具のある家に住みたいと思ったものですが、ついぞそんな暮らしはできませんでした。宮本先生はかつてこのイタリアのこれらの家具の制作に携わっておられました。家具を見ながら、ソファの構造について教わります。貼りぐるみの家具は外身でごまかされやすいのですが、微妙な背のしなりや、座り心地のよいクッションは中身が大事なのです。美しい形は、選ばれた優良な材料と研究された堅固な構造から生まれるのです。何だか人間みたいです家具も職人のモノづくり魂が通ったものだとあらためて思いました。

次につくる家具の打ち合わせのために、先生と外苑銀杏並木にある喜八さんのレストランのデッキでランチをとりました。もう春がそこにやってきています。こんな落ち着いた優雅なランチも久しぶりです。外苑テニスクラブの奥様方も白いウエアでランチです。

かつては外苑や骨董通りは時代を先どる家具のまちでした。先生の店舗も銀杏並木通りの角にあったのです。その時代の話をうかがいました。本当に時間が経つのは早いものだねと先生も挑戦し続けた頃を思い出されていました。全くそのとおりです。

家具は経済とともにあるようです。素敵な家具屋さんも倒産したり、経済力のある企業に買われたり、変遷を繰り返しているのです。家具に限らず、華やかに見える東京のデザインやものづくりの業界も時代の荒波にもまれて、変化をし生き残りをかけて来たのです。こうして先生のように自分の意志を通して生き残ることは大変なことなのです。

こんな年になってまた新たな挑戦をしようなんて無謀かもしれませんが、経験、技術、根性がようやく揃いました。(揃っていないのは資金だけですが)ここから二十年を自分が考えた日本の技術とデザインと暮らしの表現をしていこうと思っています。もちろん先生も大賛成。がんばろうねと外苑前を後にしました。

岡部泉

風流生活2015

2015年3月22日 | izumi | イエローデータデザイン日記, 風流生活日記

■何だか楽しい、嬉しい。

仕事ばかりで慌ただしい私に対して、友人からの質問、「一体これまで一番楽しかったのはどんな時?」。その質問にはっとしました。えっ、楽しかった時って言われても、ここ十数年、何もないような、、、しばらく考えて、そして良くと思い出してみると、、、土をこねて、ろくろ回して、形をつくって、絵を描いて、釉薬かけて、、、そんな土いじりに近い陶芸をやっている時でした。工房に行くのが楽しくて、一緒にやってくれていた女の子たちとご飯を食べたり笑ったり。

そうだ、私はそんな手仕事が好きだったんだ。いつも何か誰かの役に立ちたいと思って働いてきました。しかし、いつの間にか自分の生活がなくなってしまいました。自分の楽しみが何だったのかもわからなくなっては、人間として余裕もなくおかしなことです。ずっと前からやってきた工芸の仕事。また始めよう。そんな思いに答えてくれたのがA女史。やはり手仕事好きの仲間です。

私は二十五年ほど前に、「風流生活」という日本の良質な暮らしをテーマにしたブランドを立ち上げました。震災があって、風流どころではなく東北にむかいました。その間ずっとお休みをしていましたが、こうして新たに風流フレンズを迎えて、決意を固めました。また始めよう!風流生活。そして、風流生活をもっと深堀するために我々は風流会を結成しました。

民芸から工芸、そして美術品。どれも良いですが、私たちはそこに風流のルールを設けました。美というもの、それは権威を誇るものであってはいけなく、格というもの、それは物の本質を分限をもってわかること。こんな会話が果てしなく続きそうになります。こんなことを考えるのもまた楽しい事のひとつになりました。ようやく私に楽しき事が幾つか戻ってきました。それがとても嬉しく有り難く。

岡部泉

いわての手の仕事

2015年1月18日 | izumi | 未分類, 風流生活日記

■愛おしい手の仕事は少ない

先頃、岩手の手の仕事と言う素晴らしい書籍を借りてきました。そこには、竹籠、布、うつわ、うるし、などの手の仕事がていねいに書かれていました。こんなに岩手にあったのかと思わせる素晴らしいものでした。岩手にこれだけ来ているのですから、訪ねていかないわけにはいきません。今回は花巻から。しかし、歩いてみると、ひっそり。もう手の仕事は下火すぎるほど。時代です。その中でも、さき織をやられている方に出会います。古い着物を裂いて織っていきます。一枚として同じものがない織物です。裂いた生地によって文様が変わっていきます。こつこつとした仕事です。長い間、お話を聞いて、また撮影に生かされるように、織物を買いました。こんな端切れも捨てられないのよとその方は、袋につまった端切れを愛おしそうにみておっしゃる。私も同じです。そう、申し上げたら、どうぞもっていってくださいと。うれしく遠慮なく半分くらいをいただきました。これを額にしてみようと思っています。雪の降る中、その端切れでつくったのれんを横にして写真をとらせてもらいました。愛おしい、、これが手の仕事です。

次は花巻のこけし探し。さき織のお隣のこけし屋さんは、山に木を切りにいったらしくいませんでした。こけし屋さんを営んでいたというお店を訪ねました。ガラスケースに沢山こけしが並んでします。愛おしい顔のこけしが沢山。その主にお話を伺います。昔はこけしが売れたのよ。だからこんなにあるけど、もう処分して時代にあった新しいものを仕入れしようとおもっているのよと。商売だからねと。でも、私と逆。ガラスケースに入ったこけしは昔の人が作ったもので、どのこけしも職人の年齢が明治という札がかかっています。でもその愛らしい顔から目が離せません。うちにもこけしはありますが、また違う味わいです。

最近はこけ女という女の子がいるらしいですが、この何とも言えない愛おしさが時代を超えて共感されるものなのでしょう。

気に入ったこけしさんを購入。店の親子もこけしの好きな人に買ってもらって良かったわとすがすがしく話していました。

これでこけしの系統図がだんだんできていきます。

岡部泉

風流ちえまし

2015年1月11日 | izumi | 風流生活日記

■風流のアーカイブ

風流生活の日本文化のアーカイブを風流生活「ちえまし」と名付けました。知恵がますということです。風流生活は工芸好きな私が始めたブランドですが、いろいろな仕事を優先しているうちに、置き去りにされていました。ようやく再開することにしました。アーカイブと商品の両方を進めていきます。

長らくお休みしていたので、改めて企画書を書いていたら、わくわくしてきました。やはり日本文化と手の仕事が好きだったのだと感じました。

春に向かって、新たな気もちで始めます。

岡部泉

民芸再び

2015年1月10日 | izumi | イエローデータデザイン日記, 風流生活日記

■柳宗悦さんを尊敬して

私の工芸好きは、大学生のころに柳宗悦さんの本に出会ってさらに深まりました。そのころは仏教の勉強もしていて、自己意識から離れたものを最高のものとしていました。その先に民芸がありました。作家という自己表現のものではなく、道具としての工芸、民芸。その中にある自己を超えた用の美がたまらなく愛おしく思えました。

そんなことから、現代美術から何となく離れていきました。アーティストになるよりも、美術を目指したなら、せめて、社会の役に立つデザイナーの道を進もうと決めるに至ったのも、そんな民芸への思いからだったように思います。

ここ二三年、再び、民芸のブームがきているように思います。しかし、現実はその民芸は受け継がれることが難しく、個人作家さんがそれ風に仕上げていることが多いように思います。

藁を編んで袋を作っても、竹を編んでかごを作っても、ひたすら土をこねて壷を作っても、なかなか今の暮らしには用をなしません。

そこで今時は、私も生業をしていますが、ブランディングとやら行われるのです。しかし、そこに意図的なものがない用の美が完成するのはとても難しいのです。用の美は、数多くひたすら作ることで、無駄なものが削ぎ取られ、必然的な美が生まれることを良しとしているからです。

民芸のこころを受け継ぐのが風流生活です。今年は風流生活の再スタートです。東北も少し落ち着き始め、ようやく風流生活のことを考えられる時がきました。今年は日本の民芸、工芸のこころの旅に出ます。

岡部泉

手の仕事

2012年10月21日 | izumi | 風流生活日記

■手の仕事を大事にする理由

手の仕事、日本の地域には、手の仕事がまだまだ沢山あります。工芸、農業、漁業、畜産、、、大抵、効率の悪いものです。漆のお椀一つを作るのに一体何工程の仕事があることか、、一頭の牛を育てるのにどれほどの世話をするのか、、

便利から、全く逆向きにあるこれら手の仕事。便利すぎると大概、人間はなまけものになるし、また、便利を追求しすぎる図々しいヤカラになるものです。そのリスクは案外大きく、ボディブローのように徐々に効いてきます。便利の追求が人間の性だとしたら、同時に便利の使い方も学ばないと便利という魔物にあやつられてしまいそうです。

手の仕事を考えることで、便利の使い方がわかるというものです。

そのために、風流生活というブランドはあります。

立ち止まって考えること、ゆっくり散歩すること、ぼんやり空をながめること、米と豆を日常食にすること、手の仕事を生活に取り入れることなど、大したメッセージではありません。そんな良い加減な暮らしがいいのです。

今の私に、必要な暮らしであることには間違いない。。。

岡部泉

岡晋吾さんの展示会

2012年10月7日 | izumi | イエローデータデザイン日記, 風流生活日記

■やはり凄い、そして良いです

久しぶりに三越の展示会で岡さんにお会いします。岡さんは、私が大好きな陶芸家さんです。これほど勉強していてなお、洒脱なかたは他にないと思っています。
今回も、新しいもの見せてくれています。薪で焼いた染付は、まるで明の時代のもののようであり、完成度が高いものでした。この良さが誰にでもわかるものではないかもしれません。しかし、陶芸を志すものにとっては物凄い刺激になると思います。

器談義に花が咲きました。やはり、私は器が好きなんです。改めてそう思いました。器は料理を引き立て、料理を、後ろからサポートするものです。器が良ければ、料理の数パーセントは格が上がるのです。

器談義ができる人は少なくなりました。日本に余裕がなくなったのでしょうか。器がわかることって、ほんのすこし前までは、文化人の嗜みであったと思います。学生の頃からよく博物館や美術館巡りをしました。遠い時代をさかのぼって、その器の出来た社会的背景や作り手の暮らしぶりがわかる気がするのです。いい器には、人の手や能力を超えた何かが宿っています。

また、手仕事を応援する仕事に戻りたくなりました。来年に向けて、器愛しという本でも作ろうかと思いました。

岡部泉

器のかつぎやさん

2012年10月5日 | izumi | 風流生活日記

■肩に風呂敷の結びが食い込む

昔から御世話になっている瀬戸の陶器やさんが上京してきました。渋谷のレストランで久しぶりに陶器の話をしました。今は、産地問屋さんも消費地問屋さんもえらく儲かっていた時代がありました。陶器はギフトで使われ飛ぶように売れたものです。何も考えずに作っても次から次へと売れたものです。そんないい時代を経験した方々も今はとても苦労しています。陶器受難の時代です。これから陶器の行く末を心配しつつ、昔、どんな営業をしたかの話をしてくれます。かつては、今のようにカタログを持って行けるわけでもなくネットがあるわけでもなく、ただ沢山の器を担いで営業をしたそうです。担ぎ屋と呼んだそうです。担ぎ屋の自慢は、どれだけ重い器の風呂敷を担げるかということでした。この方のお父さんが、いつも肩に食い込んだ風呂敷の結び目を見せてくれたそうです。そうならなければと思ったそうです。

商売が、肩への重さと同じように、実感として感じられた時代の話です。

今のように全てが軽く早く済ませられる時代には、あまり感じられなくなったことなのでしょう。

岡部泉