加工場の意識調査1

2017年11月15日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎挨拶は心を開く第1歩

ソウルオブ東北の活動の中に働きやすい水産加工場プロジェクトがあります。

水産加工場には女性の力が欠かせず、90%は女性が働いています。若い子から60代の方まで、毎日分単位で仕事をこなしていく彼女たちは本当に優れた働き手です。この水産加工場は昨年来から続けているので二年目になります。お知り合いも増えました。成果測定のためのアンケート調査をお願いするのですが、待ってましたといわんばかりに沢山の意見がでます。第三者に話す方が気楽なのだと思いますが、その元気さには驚きます。ワイワイと加工場をどう良くしていくのかという熱い討論が続くのです。

中でも主任のT子さんは私よりも2歳ほど若い方ですが、みんなを束ねる要のような方です。もう定年になってしまうのが残念です。この方の統率力は本当に素晴らしいのです。皆に元気を与えるそのパワーはきっと男性も敵わないでしょう。
管理職は大体は男性陣ですが、いつか現場から管理職が生まれてくれたらいいのにと思いました。そんなお手本ができたらみんな、もっと頑張れるのだと思います。加工場の現場の女性の地位をあげるのも今回のプロジェクトの目的でもあります。

そんな話を管理職の方に提案をしたのですが、もちろんその可能性はあるんですよと言っていただきましたが、その空気は遠い未来のことのように感じました。

この一年の間に、いくつかの改善をしました。休憩室の断熱材をいれたり、スローガンをつくったり、人事考課測定を考えたり、就業規則をきちんと置いたり、休憩時間の明記をしたりと労働環境の整備をしました。

そして一番問題だったのは、コミュニケーション不足でした。まずは挨拶から始めました。「おはよう」「ありがとう」「おつかれさま」。管理職の方から声をかけてもらうことにしました。簡単なことのようですが、実行し持続するのは案外大変です。

挨拶とはまず心を開く第1歩、笑顔を引き出す魔法。

一年の成果報告では続けてくれているみたいです。その結果女性陣はとてもいい気持ちがする、やる気がでるという答えが返ってきました。中には挨拶をしても返してくれない上司がいるという意見もありましたが、それは個人的に修正をしてもらうしかありません。総体的にはコミュニケーションの第1歩としては効果があったようです。

それにしても熟女たちの力とはすごいです。パワーあります。このパワーをもっともっと認めてあげたいと思います。

岡部泉

海の子

2017年11月8日 | izumi | イエローデータデザイン日記, ソウルオブ東北

◼︎牡蠣船で女の子に出会う

山から海へと向かいます。ここ三陸は震災後から通い続けてきたところです。復興が進んで街も変わりました。街だけでなく浜も変わりました。13メートルの防潮堤ができて、浜と街はくっきりとしたグレーの直線で区切られるようになりました。空にコンクリートの尾根ができました。なんとも美しくない。全く美を感じない風景にしてしまった防潮堤。三陸の海と山と浜が近い風景が失われています。

人はもうすでに高台に住むことをルールにしているので、もし津波があっても大丈夫な自然との境界ができているのです。なんといっても心をつくる風景が失われていることが大きな損失なのです。

反対しても反対しても、もうゼネコンに発注終わってるので止められませんだって。
まちの人は東京のやつらにしてやられたよっていいます。いや東京じゃないんだよ、国なんだよ。。
住む人はだれも喜んでいないという悲しい復興?の傷跡です。
こんなところに巨額のお金を使うのではなくもっと三陸の文化や子供たちの教育に使ってほしかったと思います。

その防潮堤の小さな四角い切り取りの隙間から浜へ出ます。これも変な感じ。前は海が見えて浜が見えて船が見えてたどり着いたものです。今は長いコンクリートをたどって浜にいくのです。なんとも情緒がない。

そんなことをもう今更言っても仕方ないかもしれませんが、防潮堤の工事は今も続いているのです。やれやれなのです。

今日は牡蠣船に乗せてもらいます。青い空、青い海。そしてそこに眠る三陸の黒い宝物。家族で運営する牡蠣養殖です。牡蠣船には何度か乗せてもらいました。あれっ、若い女の子が働いてる。珍しい。船の上で幾つもの牡蠣箱を持ち上げて積み上げています。かなりの肉体労働。

なんとその女の子は神奈川の大学をでてここで働くことにしたそうです。なんでまた?と尋ねるとアルバイトで手伝いにきたら、この海に心がスカッとしたんで、決めたんですといいます。そうか、この風景がこの子の心を動かしたんだな。

この子は海の子だったんだ。

この風景に心が響いてここにいるんだ。やっぱり風景って大事だ。

岡部泉

東北で良かった

2017年4月27日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎復興大臣って東北を知らない

東北での支援活動の時から思っていましたが、復興大臣になる人って、東北にはいなくて東北のことを知ろうとしない。復興庁だって虎ノ門にあるんだから。復興庁って官僚のどこかに通じる通過点なんだな、そんな印象でした。東北の復興の形は未だ模索中です。

ただ、東北に6年通ってわかったことは、あの凄まじい津波の被害に東北人は静かに耐えたことです。悲しく寂しく辛く耐え難いことが重なったにもかかわらず、誰かを恨むわけでもなく、大騒ぎをするわけでもなく、お互いを思いやって最悪な状況から立ち上がってきたのです。
東北だから東北人だからこそ、可能だったことです。辛抱強く耐えることができるのは東北人だからこそなのです。

この大臣さん、何も苦労なく辛抱することなく裕福に育った方なんでしょう。何も東北人の辛さを知ろうとも知らない中途半端な人は、復興大臣になってはいけないんだとつくづく歴代の人たちの顔を思い浮かべます。

岡部泉

復興とは

2017年3月12日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎地域特性を知ること

震災から6年経ち、いろいろなメディアから東北の復興についての発信があります。新聞に田老の防潮堤の上で5百人の人たちが手をつなぎ海に向かって祈りを捧げている写真が載っていました。田老漁協さんとは、親しいおつきあいがあり、漁協のH氏のブログも良く読んでいます。

田老という地区は度重なる津波の歴史があり、津波でんでんこと語り継がれているところです。二重の防潮堤があったところですが、それさえも役に立たず大きな災害に見舞われました。わかめで有名なところですが、わかめ最盛期であったことから、わかめの棚が流されて大打撃でした。今は立派な加工場ができて立派なわかめを皆さんで頑張って育てています。

東北と言っても、地域によってその性格は異なります。岩手といえどもまた沿岸の北と南、内陸でも北と南に分かれて、その地域の民族性というか、性格があるようです。私は岩手に6年通ってだんだんわかってきました。

昨日、岩手の友人からラインがありました。ぽつりと「震災復興、重い」と書いてありました。そうだろう。我々はメディアの中の東北を語っているのです。たくさんのコンサルティングの人たちが東北に入ってきて、いろんなことをしてくれたと思います。東京の物差しでは本当は計れないものがあるのではないかと思います。もっともっと地域の特性を知らないと復興事業は役に立てないのではないかと思います。

まちづくりも、入居する人が不足していて復興住宅が余ってしまう地域が多いと言われています。東北だけでなく日本の地域は過疎化が進んでいるのですから、震災を機に流出する人が多くなることはわかっていることなのです。まちとは不思議なもので、人がいて成り立つ仕組みが多いのです。学校も病院も商業施設も人がいて成立するものです。コンパクトシティどころか、それさえも可能にならないところが多いと感じました。

何もないけれどそこにあるものがある。一体それは何かを考えないといけないと思いました。人口によって考え方を変えないとコンパクトシティという概念だけではもうまちは成立しないのではないかと思います。まちではなく、それよりも小さい集団の仕組みがあるはずです。無い、しかし、あるものがある。

田老の海には田老らしい海があります。夜中に繰り出すわかめ漁。わかめを小船に沢山積んだころ朝日が昇ってきます。その朝日に収穫したばかりのわかめがキラキラと光っています。その光景は田老らしいものです。

復興とは一体何をもって復興というのだろうと良く考えます。たくさんの地域の種類と地域の特性があり、文化、産業、食材、歴史、風習、本当に多様なのです。だからこそ一辺倒の概念型のコンサルティングが通用しないのです。もっとミクロ目で価値を見つけ出さないといけないのだと思います。私も実際に現地でいろんなことをしてわかったことです。

防潮堤がいらないところもあるのです。もういらないよっていう住民。でも、もう決まってるからという国。復興の遅れは何なのか、まだ仮設住宅で暮らす人たちが三万人あまり。国は、本当に必要なことを分かっていなかったのだろうか。事なかれ的な習性のせいなのか。

私は主に岩手の沿岸に行くことが多いのですが、いつまでも忘れらないのは、2011年の4月、最初に避難所に食料を持って伺った時のこと。深い悲しみにくれる方々にこんな自分は、どうしたらいいのだろうかとビクビクする私に、おばあちゃんが「遠くからありがと、ありがと、」と手を握りしめてくれました。子供達は帰る時に「また来てね」って手を振ってくれていました。逆に親切にしてもらったようで、申し訳なく思いました。皆、辛抱強く優しいのです。だからよけいに心が痛く痛くなりました。

地域創生という言葉も、いつしか聞かれなくなりました。いつの間にかオリンピックの経済効果へと中央は動いています。地域は地域で地域なりに考えていかなくてはなりません。地域なりのサイズと個性を見つけることだと思います。6年が経ち、元には戻りませんが、復興と地域創生は同じように考える時期に入ってきたように思います。

田老には田老なりの創生があり、釜石には釜石なりの創生があるのでしょう。

そして地域性とは異なる大きな問題として。やはり原発を抱えることへの意識を再度、強く思うことだと思います。背負えないものを背負うリスクをもう私達は知っているのですから、悲劇や不遜を繰り返すことなく原発の存在を再考していかなくてはと思います。

毎年、この三月十一日の節目はこころを新たに、自分を正す日でもあります。いつまでも愛しい人を亡くした悲しみは消えることはないと思いますが、少しでも幸せと感じる時が増えますようにとお祈りいたします。

岡部泉

東日本大震災から6年

2017年3月11日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎あの衝撃はわすれられない

2011年3月11日14時46分。あの震災の衝撃を忘れることは出来ません。大きな大きな恐怖とどうしようもない悲しみが襲ってきて眠ることが出来ませんでした。

現地の人たちの気持ちは、遠くにいる我々が想像をはるかに超えた悲しみと戸惑いであったと思います。まだ寒かった東北。私たちが東北に向かったのは、4月の終わり頃でした。それから私たちが何の役に立てたのかわかりませんが、皆さんは今でも悲しみを抱えながらも少しづつ歩みを進めています。

たくさんの苦しい思いをされた方々にあらためて黙祷を捧げます。

岡部泉

震災から6年

2017年3月6日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎仮設住宅での活動も一区切り

東日本大震災からもうすぐ6年がたちます。震災直後のことを思い出します。忘れることができないほどの大きな衝撃でした。何かやれることはないかと始めた活動の一つに仮設住宅での料理教室があります。子供もお年寄りもみんなで料理を作ろうと知り合いのシェフたちが参加してくれて始まりました。いろんなイベント含めると100回ほどの開催となりました。

最初は、地図は全く役に立たないほど風景も道路も変わってしまっていました。悲しみからなかなか抜け出せない空気がいっぱいで、どうしていいかわからない胸が詰まる思いがしました。

避難所から始まった活動でしたが、少しづつ笑顔が生まれて美味しい食がこんなにも人を楽しくさせるものだと食の大切さを感じました。仮設住宅に移りはじめ今は復興住宅が整備されています。いろいろな人たちが自分たちの新しい住処に移っていきました。

食と人を結ぶという意味でつけた「おむすび」という仮設住宅での料理教室の役目も終わり、次回で最後となりました。最後の回に登場してくれる東北のシェフにお礼の手紙を書きます。「おいしいが笑顔をつくる」どこかの企業のスローガンみたいですが、それは本当のことです。沢山の笑顔を作ってくれてありがとうございました。そして最後の回をよろしくお願いします。

この活動は、東北の沿岸の子供食育教室として続いていきます。魚食の国ですから、まずは魚をよく知ってる子供になってほしいと思います。また次の時代を迎えられるためにつないでいきます。

岡部泉

三陸の水産加工場

2017年2月28日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎三陸の海は三陸ブルー

今日は、岩手県三陸水産加工場の支援活動で釜石に向かいます。お天気に恵まれて久しぶりに青い海を眺めます。海はどこも天気のいい日は青いのですが、何となく懐かしく見慣れた三陸の海の色に思います。今日は見事な三陸ブルーです。。

震災から私たちが支援活動に入ってそろそろ6年が経ちます。その活動のひとつである働きやすい加工場プロジェクトは三年前から始まりました。今年度最後の打ち合わせとなります。働く女性たちの意見を会社に伝えながら職場改善を行ってきました。いつも冷たかった休憩場は断熱材が入った床となり、見事に温かな床となりました。水産加工場は魚を扱うので女性にとって冷える職場なのです。また膝が痛くなる熟年の女性たちには低めの椅子が整備されました。就業規則がいつもわかりやすいところ置かれたり、会社のスローガンが掲げられたり、自分たちの食品が食べられたり、別部署の人たちと話し合えるワイワイランチも始まりました。今日はその改善の成果を聞く日なのです。いつもお話を伺っている女性たちが感想を聞かせてくれます。待ってたのよ、と勢い込んで話をしてくれました。

こんなに会社が変わるなんて、本当にこの会社で働けてよかった、会社の考えもわかったからこれからもここで働き続けたい、、などなど、嬉しい声が聞けました。本当にありがとうねと言っていただけましたが、本当にこうして聞く耳をもった社長さんたちがえらいのです。そしてこの会社を好きな皆さんがえらいのです。こうして両者をつなぐ役でした。やはり第三者って大事なんですね。

また、来年度も引き続き改善計画をすることになりそうですが、今日は日帰りで東京に戻ります。移動の合間合間に、仕事の指示を出したり連絡をとったりとばたつきながら新幹線に乗り込みました。

今日は少しは東北の役に立てたのかなと思うと同時に、我が社はどうなのかな、、と思う複雑な気持ちになる長い1日でした。

岡部泉

釜石の水産加工場

2017年2月6日 | izumi | イエローデータデザイン日記, ソウルオブ東北

◼︎即決英断の社長さん、素晴らしい。

東北支援の活動でここ数年行っている働きやすい水産加工場プロジェクト。今年は釜石の水産加工場にて、どうしたら雇用を促進のための改善策を社長さん、工場長さん含め考えています。

日本全国、人手不足です。ここ三陸の水産加工場はもっと大変です。働く女性にいろいろとヒアリングしました。どうやら働く彼女たちと管理する人の間にはそれぞれの意見の食い違いがあるようでした。

そこで、まず簡単に工場長さんたちにやっていただいたことは挨拶です。きちんと顔をみて「おはよう」「おつかれさま」を言っていただくようにしました。先月伺った次の日からその挨拶は励行されたそうです。女性たちにどうだった?と聞いてみたら、「もうびっくりしたぁ。こんなあいさつしてもらって。ほんとうれしい。」とどうやら大変好評です。どんな風に気持ちは変わったのと聞くと「やる気がでたぁ」「こんなに早く進むなんてね」「この会社で働けてよかったぁ」とうれしい声が上がりました。みなさんの顔も晴れやかに見えます。

働く人はどんな職場でも不満と欲求の連続です。でも管理職なりに大変なのです。それはお互い様でもあるし、不満で何も生まないよね。

そんな話をしたら、「そうだね。こちらも言い方考えないとね。」リーダー格の女性が言います。なんと素晴らしい変化です。これからは、思いやりと提案ですねと、みなさんも頷かれて本当に良かったのです。そんな報告を社長さんにしたら、社長さんも本当にうれしそうでした。そして次から次へと改革は進みました。寒い加工場です。休憩室は温かくしてあげたい。そこでコンクリート床にタイルカーペットを敷いただけの床をあげてくれることになりました。床暖は電気容量の増加で設備投資が大きくできませんでしたが、それでもあのひんやりした床よりはずっと良くなるはずです。またスローガンも作ってくれました。スローガンがあると気持ちが誘導されるものではないかという提案に答えていただきました。どんどんと英断されていきます。このスピードこそ今の時代に必要なのです。変化こそ今求められていることです。

全従業員が「健やかに、楽しく、永く」務められる会社をめざそうというスローガン。いいですね。とっても。

次は正社員になってもらうための人事考課を見える化します。そして総務から営業から、普段加工場の人たちと接する機会がない人たちを交代にお呼びして自社製品を食べるランチミーティングを「わいわいランチ」と名ずけて、コミュニケーションをとってもらおうという企画も実行されることになりました。本当に社長さん、工場長さん、素晴らしい方々がこうして実践していただき、その成果が楽しみです。

あとお願いされたことは、「全員で忘年会したいんですよね。それも伝えてほしい。」と頼まれました。震災で集まる場所がなくなってしまったことで全員が参加できなくなったそうです。管理職の方々に全員の忘年会についてお話ししたら、「よしやろう。工場が広くなったから、できるよ。ここでやろう。送りはバスを往復させよう」とこの提案にも応えていただきました。またみなさんが喜ばれることでしょう。

本当に羨ましい会社です。みなさんが積極的にコミュニケーションをとりたいと願っていることです。最近都会では、みなプライベートが大事です。なかなかみんな揃って何かをしようとはしません。こうして人様のお世話をしつつ、とても勉強になるプロジェクトです。自分の至らないところ、働く人の悩み、経営者がやらなくてはならないこと、そして経営者の悩み。どれもが自分ととても深く関わることです。

また今月末のリサーチが楽しみになってきました。さらに変化があるはずです。私もわいわいランチに参加しようと思います。

岡部泉

相馬漁協

2016年12月9日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎試食会に浜のかあちゃん、漁師たちの料理

引き続き、相馬に入ります。まだ試験操業しかできない浜の皆さん。それでも浜の魚を使って商品をつくりたいというのでそのお手伝いをしています。

まだまだ原発のどうにもなりません。それでも前に進むことを選んだのです。

底引き船ちーむは短い時は1日、長い時は3日ほど船上にいて、1日4食食べるそうです。朝、昼、夜、夜。そのご飯をつくる人をまんま炊きというそうです。そのご飯をまんま飯といいます。この「まんま飯」をタイトルに使いませんかと意見を出しました。

小型船は大体刺身にして食べているみたいです。あまりお金にならない魚でもうまいのがあんだよといいます。そんな魚を製品にしたいとのことです。いわゆる「俺のさかな」って感じです。

浜のかあちゃんたちは、順調に開発を進めています。さすがに浜のかあちゃんは現実をよく把握しています。着々とチームワークよく進めています。

今日は、そんな彼らの浜の料理を商品化する6次化プロジェクトの試食会です。いつもお世話になっている岩手の司厨士協会の会長をしている狩野シェフにきていただきました。相馬出身なのです。

しかし、ここには加工場がないので。商品にすうるには、品質管理や加工場探しなど難関はたくさんあります。商品は、相当な戦略がないと売れないものです。道は遠いけれども、これも勉強です。

ひとつひとつクリアしていこうとおもいます。

岡部泉

東北の沿岸のまちづくり

2016年11月12日 | izumi | イエローデータデザイン日記, ソウルオブ東北

◼︎女川のまちを訪ねます

仙台から松島を通って女川へ向かいます。松島は初めて訪れます。松島はなんといっても、天橋立、宮島と並ぶ日本三景です。土曜日の行楽シーズンということなのか、予想以上の沢山の人出です。歩道には人が連なっています。松島は震災の時には、被害が少なくほとんどの店舗や家がきちんと残っています。そのほかの沿岸地域とのあまりの差に驚きました。それは松島の島々たちが津波の力を吸収してくれたからだという事を聞きました。

松島では、穏やかな松島の風景とアナゴのひつまぶしとカキフライを食べて、観光客気分満喫です。東北の沿岸を回ってこんな気分になったのは初めてです。普通に楽しめるのです。松島はこれからも観光地として大丈夫なんだな思いました。でもひとつ気になるのは松食い虫にやられてる松が多かったことです。松のない松島では困ります。

松島を抜けて、石巻、そして女川へ。石巻は一番最初に東北に入るきっかけになったところです。あの当時は商店街がとんでもないことになっていて、どうしようもない気持ちになりました。しかし、風景は思い出せないほど大きく変化しています。

女川は、テレビでもよく放映される土地です。駅と海まで抜ける商店街をこうして実際見てみると、複雑な気持ちになりました。

この駅は石巻線の終着駅なのです。坂茂氏のデザインによるものです。まちのにぎわい拠点をつくるコンパクトシティという構想でした。駅には温泉があり、地域の人たちが楽しむ場となっています。商店街は雑貨店、お土産やさん、カフェバー、ギター作りの工房、居酒屋、中華、スナックと様々なテナントが沢山並んでいます。新旧世代の混合という感じです。建物はモダンなデザインとなっていて軽井沢の星野やさんのようなイメージです。

しかし、もう夕方だというのにオープンしている飲食店はほとんどありません。昼間の経営か終了している店もあります。ぶらぶらと見ていたら、そのひとつの店の人が声をかけてくれました。お店でコーヒーをいただくことになりました。いろいろと話をしてくれました。住居は山側に移転したので、この周りに人通りは少ないのだということです。また、住宅ができるまでに仙台や石巻に移ってしまった人は、もう戻ってこないと諦め顔で話してくれました。人口が少ない上に、代行タクシーというものがないことと宿泊施設がないことで(トレーラーハウスの宿泊はある)、なかなか集客が難しいようです。9月から最近まではサンマ船と原発の作業をする方が多かったからよかったけど、自分たちもそろそろどこかに移ってしまおうかと思っているとのことでした。

日も暮れて夜になり、きれいに整備されたデッキテラスの樹木がアッパーライトに照らされて、リゾート地のようです。これからこの周りには郵便局や庁舎ができる予定のようです。ここまでつくるには沢山の話し合いがあったことかと思います。まちを考えることって本当に難しいことだとつくづくと思いました。

岡部泉