3月11日

2019年3月11日 | izumi | イエローデータデザイン日記, ソウルオブ東北

◼︎追悼

あれから8年が経ちます。長いようで短い時間です。あの日を忘れることはありません。あの日の14時46分。一体何が起きたんだというあっけにとられたような感覚。とてもない出来事がリアルにおきている。それも私たちの近くの地域で。心が大きな杭でうち抜かれるような苦しい気持ちになりました。

ほんの少ししか離れていない同じ日本の国でおきた大きな不幸な出来事に、多くのひとが苦しんでいる、悲しんでいる。
一体何ができるんだろうか。何もわからないままに、東北へ向かいました。

今日、震災直後から通っていた漁協の方からメールをいただきました。

「8年経っても、被災地は防潮堤が完全に完成した場所などなく、30年以内に東北から関東にかけて、マグニチュード7クラスの地震発生の確立が高いなど、不安材料は膨らむばかり」「自分の子供には二度、災害に遭わせたくない」とそのメールには書かれていました。
まだまだ不安は続いているのです。
それは東北だけでなく東京も関西地区にも考えうることです。

私たちが今できることは、この現実を知ること、そして前に進むことだけです。

この大震災が私を大きく変えたとおもいます。こうして8年、東北に通って何も成果はなかったかもしれません。しかし、大切なものは何かを知ることができました。そして自分の置かれている立場が恵まれたものであることに感謝をして、もっと頑張れるようになりました。

今も悲しみをかかえている方々に、心より追悼の意を表します。

岡部泉

働きやすい水産加工場

2019年2月14日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎約5年に渡ったプロジェクト

東日本大震災から今年で8年経ちます。

震災当初から災害にあった水産加工場を回ってきました。今日は岩手県の広域沿岸振興局の仕事で5年に渡った水産加工場の働きやすい水産加工場プロジェクトの最終セミナーです。これまでのヒアリングを含めた改善方法をお話しします。

主に3つの改善ポイントが挙げられます。
一つは、労働環境の改善です。水産加工場は水産物を扱うので暖かな環境ではありません。女性にとって冷えはとても辛いものです。せめてや休憩室や廊下を暖かくする改善をしました。費用をかけない改善として、床に断熱材を入れただけですが、コンクリート直の床に比べ数段冷たくなくなりました。水産加工場の女性たちも高年齢化が進んでいますので、低めの椅子を用意しました。休憩時間はお昼の1時間と3時の15分ですが、その時間の居心地がとても大事なのです。津波で流されてしまい、加工場を新しくしたはずなのに工場というものは機能性を重視していて、どこか冷たく寂しい気がします。女性目線で工場をつくる設計士がいたら少しは温かなものになったかもしれません。また、女性には高すぎて使いづらい棚の改良など細かなところに気を配りみなさんと相談しながら改善をしてきました。

2つめは、働く人同士のコミュニケーション改善です。どの会社でも組織でも同様に、お互いのコミュニケーションはとても難しいものです。なんといっても世代間の感性の違いは、ここ東北でも東京でも同じです。若い子はせっかくのお昼は車の中であっても一人で自由に過ごしたい、しかし熟年者はそれを勝手と受け取る。そんなことが働きづらい職場になってしまうのです。狭い休憩所だから居場所を見つけられない。動物にも木陰や水場が必要なようにいろんな場が人間にも必要です。水産加工場のまわりにもしカフェがたくさんあったらもっと息抜きできるのではと思います。しかし、ここは沿岸。そうもいきません。コミュニケーションの問題は、永遠の問題です。少しでも相手のことをわかってあげることが積極的な解決方法で、もっとクールに考えるのであればそれぞれが干渉しないことです。もともと効率重視の水産加工場ですので、逆に新しい職場になるかもしれません。

3つめは、リーダーサポートです。この場合のリーダーとは工場長であったり班長さんです。リーダーとは、生産管理だけでなく、人間関係の緩衝材にもならなくてはなりません。いろんな考えを持つ人たちに配慮するというとても難しい立場です。しかし、そんなことができる人がいるでしょうか。私が知る工場長は、毎日毎日、納品や管理や営業まで、人手不足な中複数の役をこなしています。こんな状況の加工場はとても多いはずです。リーダーは本当に大変です。辛いのです。そんなリーダーをサポートする仕組みがあれば、もっといい環境になると思うのです。リーダーサポートからリーダー育成へとつながり、いいコミュニケーションが生まれ、人材が集まり、加工場は次の手を打てるようになるのだと思います。

今回で、このプロジェクトは終了しましたが、我が社のことも同様に考えるきっかけにもなりました。働きやすく経済性のある会社をつくるためにすべきこと、それは各社それぞれですが、責任とともに尊重であると思いました。これからも沿岸の加工場が繁栄することを祈ります。

岡部泉

早や大学生

2018年7月29日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎人の子はすぐに大きくなってしまう

久しぶりに東北の友人から電話がありました。彼は東北の支援活動を一緒にやってくれたシェフです。お元気ですかと聞いてくれます。そう元気なのかどうかは私もよくわからないんです。。

でも、そのシエブの近況を聞いたら「息子が大学受験なので大変ですよ」と言います。えっ。。もう大学生なの?ってびっくり。彼の家は岩手県の山田町というところで津波の被害がとても大きく、当時、本当に絶望の淵にいたのです。その時に電話をもらいました。新築仕立ての家も店もなくなり、大変な不幸に見舞われました。私が考えられる域を超えて、心が挫けることばかりだったと思います。それでも強く立ち上がってきた姿をこの7年間みてきました。いつも応援したくなるのです。

そんな中、子供たちは大きくなりました。大学生と高校生です。人の子は、あっという間に大きくなるもの。私も年をとるわけだねと笑います。でもなんだか嬉しくなりました。よくここまでこれたねと心から尊敬します。

岡部泉

田老のウニ来たぁ

2018年7月21日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎塩水にふわふわと浮いている

宮古市田老の田老漁協さんからウニが届きました。塩水に入ったウニです。みんなでウニ丼にしていただきます。豪華ランチです。東京駅のビールバーのみんなにも持っていきます。

ウニの程よい甘さが田老の海を思い出させます。ああ、、私の亡くなった母はウニが大好物だったな。亡くなる年の7月の誕生日の時に、「うううにが食べたい、、」って言ってたな。今も生きてたらいっぱいこのウニを食べさせてあげられたのにね。。ごめんね。

ウニ漁はとても忙しい漁です。時間制限があるので、早朝のピーっという笛の音と同時に漁師の皆さんが我先にと必死で採りに行くそうです。一度ウニ漁の船に乗せてほしいなって頼んだら、ジャマだからダメ!って即座にお断りされました。あわび同様にウニは高く取引されるので、一秒を争う技を競う真剣勝負なのです。そりゃ、そうだ。

田老さんのH氏が「防潮堤は壊れても〜田老の海から〜」というブログを書いているのですが、そこにウニ漁の様子が臨場感豊かに書かれています。田老の風景を知る私としてはとても楽しく読ませてもらっています。田老のアラーキーを目指すH氏、いい写真が撮れるようにと願っています。
そうそう工場長のTさん、ウニ送ってくれてありがとう!アワビもよろしく!

岡部泉

久々の田老漁協

2018年7月9日 | izumi | ソウルオブ東北

◾︎田老の町が変わっていた

あの二重の防潮堤が決壊して大きな被害にあった田老町。震災から1ヶ月ほど経った時にお伺いした時に見たのは、多くの家があっただろうと思われるコンクリートの基礎と瓦礫が散乱するような凄まじい光景でした。あれからしばしばお訪ねしていますが、7年経って野球場ができて、住宅も高台にできて、道の駅もできました。まだ工事の車が通るものの、だんだんと町の景色になってきました。

道の駅で「名物どんこ丼」を食べて、打ち合わせを始めます。今日は田老漁協の水産加工場の働き方改善のためにきました。岩手県の広域水産振興局の仕事です。工場も新しくなり大きくなりました。主力商品はわかめです。真崎わかめと言って三陸とはまた異なり、より緑が濃く歯ごたえのあるわかめです。

工場のほとんどは女性です。早速みなさんにヒアリングします。
なかなかに問題は豊富です。どうしたもんだろうと頭を抱えたくなります。一つ一つ、課題を書き出し、これから半年ほど皆さんと一緒に改善のために対策を実施していきます。まずは体に優しい加工場から入ることにします。包材の入った段ボールは女性でも持ち上げられるように棚の段を低くしようと思います。重たいの改善です。
次は心に優しい加工場、そして効率の良い加工場へ。みなさんが楽しく続けられる加工場になるが目標です。

こうして工場の改善を上司である管理側に伝えていると、自分に話しているようで、また苦しいものです。また対策の詳細を考えて来月伺います。

岡部泉

東北の桜は固く

2018年3月23日 | izumi | イエローデータデザイン日記, ソウルオブ東北

◼︎盛岡のイタリアンレストラン

東京の喧騒とは全く違う世界が東北にはありますが、それでも盛岡はゆったりとした都会です。朝、打ち合わせの前にらぶらぶらと散歩してみます。東京の桜はもう開花したのに、まだまだ桜の枝の先の蕾は固く春が遠いことを感じさせます。

雪がちらつく静かなひんやりした空気の中、同じ時間なのに土地によってその時間の質は違うものだと感じます。それが人間に影響するんだろうって思います。それが文化や風土になるのでしょうか。

打ち合わせが終わり、近くの知り合いのイタリアンレストランにランチを食べに行ってみます。電話では話したりしていますが、数年前に行ったきりでした。山田町の人で津波でとてもご苦労されました。今でも彼の最初の電話を覚えています。もう、どうしたらいいのだろうと。でも何も答えることができませんでした。ただ一緒に被災地で炊き出しをしました。

今は、盛岡で店を再開して、とても美味しい山田町の牡蠣のパスタを出してくれています。今年の牡蠣は大きいそうです。今年は天候が悪く波が荒いので牡蠣も必死になって大きくなるんでしょうか。

苦労は人を強くさせます。牡蠣もそうなんだろう。私はそんな苦労が好きです。穏やかな優しい海もいいけど、厳しい顔を持つ海の方がどこか気持ちを強くさせる気がします。

また一緒にがんばろうね。やはり、料理人らしく店の玄関で見送ってくれた彼に、心のなかでそう伝えました。

岡部泉

2時46分

2018年3月11日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎黙祷

亡くなられた多くの方へ哀悼を伝えます。どうぞ安らかに。

岡部泉

東日本大震災から7年

2018年3月11日 | izumi | ソウルオブ東北

◼︎東北に幸あれ

震災から7年が経ちました。この激しい変化の時代、あんな大きな災害であっても風化しそうな記憶になってしまいそうです。しかし、私は7年前の今日に流れたあの衝撃の映像は忘れることができません。東北の方々の不安と恐怖を思うと心が締め付けられるようでした。こんな暖かい部屋で眠ることができる自分がいて、悲しみに暮れながら寒さに震える人がいて、こんな不平等なことがあっていいのかと嘆きました。

何ができるのかもわからず、震災から1ヶ月後には陸前高田に立っていました。被害にあった面積の広さに圧倒されました。かつて住宅であっただろう柱や建材がうず高く要塞のようにただただ広がっていました。夕暮れの中、もちろんナビなど無用なこと、その黒い塊が続く中を迷いながら走っていきました。ほんの一ヶ月前までここにたくさんの人が、笑い、語り、働き、暮らしていたんだと思うと、どうしようもない無力さを感じました。

すぐに団体を立ち上げ、地元のシェフの協力をいただきながら、東北の避難所に向かい始めました。大きな体育館で寝泊まりする方々、ただ静かにみなさんで助け合いながら過ごされていました。悲しくて悲しくてどうしもない心境だったと思います。それなのに、東京から来たと話すと「遠いところからありがとう」と手を握られます。みなさんに食事を手配し終わり帰る時には、おばあちゃんも子供達も「気をつけてねぇ」と手を振って見送ってくれました。一番大変なのはみなさんなのに、こうして気を使ってくれる人たち。あたたかい。

とても印象にのこっていることがあります。それは気仙沼の小学校の体育館に行った時です。皆さんに汁物を配っている時です。一人の男性が近寄ってきて、津波のことを話してくれました。「津波が来た時、おっかぁの手を握りおっかぁは俺の腕を掴んでいたのに、その手が腕からするりと抜けていって津波に飲みこまれていったんだ。その時のするりとした腕の感覚が忘れられ無いんだ。。。」と自分の腕をさすりながら話してくれました。たった一人、心が本当に痛み続けていたのだと思います。慰める言葉が見つかりませんでした。その後、数行のメールが送られてきました。そのメールには「親切にきてくれてありがとう」と書かれていました。携帯も何もない状態だったこと、名刺も何も渡していなかったこと、図書館のパソコンを使って私を探してメールをくれたのです。こんな風に東北の人たちはとても謙虚です。どこに行ってもみなさん優しいのです。
何度も東北に伺う度に、すっかり東北のファンになりました。

そして今、沿岸の風景も変わりました。道路が通り内陸からのアクセスが格段に良くなりました。町もできました、マルシエもあります。しかし、そこにはまだまだ人の匂いは落ち着きません。これからが本当の復興が示される時です。観光、産業、文化、教育、芸術、それぞれが育つためにはどうしたらいいのかを考えなければなりません。

こうして7年が経ちましたが、東北にお邪魔してなんのお役に立てたのかわかりません。ただ、これからも東北の幸を願うことは変わりません。東北に幸あれ。

岡部泉

三陸情報

2018年1月21日 | izumi | イエローデータデザイン日記, ソウルオブ東北

◼︎三陸の冬はこれから

東日本大震災の支援活動をきっかけに三陸によくおじゃましています。今でもおつきあいしている漁協さんがいます。その職員さんのブログを登録してあるので、そのブログから三陸の海の状況を日々把握しています。
どうやら、三陸の冬はこれからで、時化の季節を迎えるようです。その前にわかめの間引き作業やらに勤しんでいる様子が伺えます。そして春告魚のニシンの画像がありました。この時化の季節をのりこえたら、三陸にも春が訪れるのです。

2月になったらわかめ漁が本格的に行われます。その時にまたお伺いしたいと思います。わかめ船から見る日の出は最高です。お正月の日の出は朝早く出かける気がしませんが、こういう時の日の出は別格です。この日の出を毎日眺める漁師という仕事もいいなぁと思うのでした。(冬の海は冷たくその苦労は絶え間ないのに、、こうしてなれもしないくせに、いいとこ取りの憧れ発言は都会人の悪いところ、、無責任発言ですみません)

岡部泉

爆弾低気圧

2017年12月25日 | izumi | イエローデータデザイン日記, ソウルオブ東北

◼︎水産加工場プロジェクト最後の日

東北に爆弾低気圧がきています。そんな時に合わせたわけじゃないけど東北に出張です。新幹線も遅れがち。盛岡から釜石に向かいます。山道に差し掛かると横殴りの雪。

大変な天気ですが、今年の東北の仕事納めなのです。二年間通った水産加工場の働き方改善のためのプロジェクトの最後の日なのです。
水産加工場も女性たちが待っているのです。かわいいベトナムの子達も、熟練の技をもつ社員の方も。いつもこんなことを話そう、こんな問題があるのと書き留めた紙を持参してくれている人もいます。

二週間前から改善した項目についてのアンケート調査をします。ベトナムの子達とのコミュニケーションのために、ベトナム語で挨拶ができるように休憩室にベトナム語の挨拶を貼り出してもらいました。嬉しかった!とベトナムの子達は可愛く答えてくれます。でも最後にもっと仕事したいって会社に言ってくださいと言います。休憩時間もいらないからもっと働きたい、つまりもっと稼ぎたいというのです。彼女たちは時給で働いているのです。三年間国には帰れないのですが、ベトナムよりずっと日本は収入がいいので家を支えるにはとてもいい仕事なのです。そして、ここはとても皆さん親切なので居心地もいいのです。だから彼女たちはいつも仲間たちとおしゃべりをして楽しそうです。彼女たちの存在が水産加工場を支えていると思います。帰り際も元気に手を振って別れを惜しんでくれました。

この二年間の成果は確かにあったとは思いますが、東北の水産加工場の事態はまだまだ大変であることには変わりません。しかし、この水産加工場は積極的な改善で、社員の方にも地元の方たちにも確かな評価を得られています。少しは役に立てたかなと思います。

岡部泉